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尾崎国子ヒンデローペンエッセイNo10

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オランダ便り 夏到来、サア!ホリデイ!

6,7月の短い夏を迎えると、ヨーロッパでは人々が太陽を求めて民族の大移動です。
 旅行会社は1年も前から夏の予約客でいっぱいで、どこの旅行誌にも3週間、一ヶ月、と、長期滞在の案内が目白押しです。自然の中で読書やスイミング、日光浴、音楽会と、のんびりとした時間を過ごします。
 アパートメントと呼ぶ貸し別荘は家具、、テレビ、お皿、調味料、、タオル、シーツ、など生活に必要なものはすべて付いて何不自由なしです。
ヨーロッパのEU加盟国の国境はフリーパスで、高速道路全線がフリーパスですので、ドライブには最適です。
 オランダ人の多くは、乗用車にキャビングカーを引いて出かけます。スピードがあまり出ないので、のろのろと高速道路を走るので、渋滞の原因ともなります。
 ドイツのアウトバーンでは120キロ以上で走るので、追い越し車線からは締め出されてしまいます。ベンツが「そこのけ、そこのけ」といわんばかりにすごいスピードで追い越していきます。スピード車を追いかけるポリスの車は「ポルシェ」。まるでジェット機のように目の前より消えていきます。ハンドルを握る私の手のひらは緊張のために汗びっしょりです。オランダの車を見るとほっとします。
 
 しばし「ジャガイモ持参で来て、なくなると帰る」とか「観光地に少しもお金を落とさない」とか、不評を買っているような事を聞きますが、お金をかけないで自然を楽しむ合理的なホリデイはさすが、オランダ人です。

 私たちはバスツアー「プラハ4泊5日」に参加しました。東欧の姿を見たくてあえてバスにしたのですが、日本人は二人だけ。バスはオランダを出発して、ドイツを横切り、チェコに入ります。ピザが必要な国なので、国境は大型トラック、乗用車で溢れかえり、一人ひとりのパスポートが入念にチェックされます。
長い車の列にはトラックにつまれたポンコツ車が異様にとても多く、国境の近くには壊れた車を扱ったお店が多くありました。多分東欧にとって、これらの商品はビジネスになるのだと思います。
長い間待って、日本人である私たちのパスポートは特に入念にチェックされ時間が本当に長くかかりました。
まだ東西ドイツの統合がなされてまもなくの時でしたので、西ドイツの整然とした庭の花の咲き誇っている姿から、東ドイツに入るととたんに、寂れた庭、修理の行き届かない家屋などが目に付きました。気持庭の花々も遠慮ぶかそうに咲いており、人々の明暗が浮かびあがっているようでした。

やがて、バスはヨーロッパでも一番美しい「宝石のような都」といわれるプラハに着きました。
長い間じっと風雨に耐えていた古い建物が、なおも気品を漂わせ、古い着物を着替える時期を待つように街のいたるところで建物の修理工事が進行中でした。

ホテルは郊外の簡素なもので、サービスは本当に事務的なもの。毎朝のコーヒーはぬるく、パンは冷たく、ハムは薄く。「熱いコーヒーを」とボーイさんにお願いしても毎朝、ぬるいコーヒーしかありませんでした。西側の過剰なまでのサービスに慣れきったものには驚きでした。市電トラムに乗ってみました.40分で18円、今ではもう少し高くなっていると思いますが、その安さに驚き。でもトラムの座席は鉄製、ヒヤッと冷たく、硬さがダイレクトに体に感じます。「次は、、、」の案内は「ポン、パン」とゆがんだねじのようなチャイムが鳴りますが、何かうら寂しい。
でも、やがて観光の中心部に着くと、街はよき時代の遺産の復元と共に、西欧に追いつこうとしているエネルギーが溢れ、ポルタバ川沿いのプラハ城が威風堂々と街を見下ろし、ヨーロッパ最古の石の橋,カレン橋がその風景をさらに美しく演出していました。

各教会で開かれるコンサートの当日券は直ぐに買え、とても安いです。教会の内部のきらびやかな装飾と奏でられる調べが中世の世界へといざないます。モーツアルトが「ドン・ジョバン二」をここで作曲したという住居は、モーツアルト博物館となり毎晩コンサートが開かれています。
ボヘミアングラスが美しく、観光客を魅了します。市庁舎の精巧な仕掛け時計も有名です。街角ではミュージシャンが素晴らしいクラッシックを奏でてくれます。これから到来する自由な素晴らしい人生を謳歌しているようにも聞こえます。

「プラハの春」の歴史を刻んだ広場には、犠牲になった人々のため、今も尚、花束が供えられていました。